【第6回】 鎌田 英基 シェフ
Monsieur Hideki Kamata
<2011年 第45回≪ル・テタンジェ≫国際料理賞コンクール>
<2013年 第47回≪ル・テタンジェ≫国際料理賞コンクール>
<2016年 第50回≪ル・テタンジェ≫国際料理賞コンクール>
日本大会優勝2回・2位1回、常にトップを目指し挑み続ける
日本の優勝者にインタビューをする第6回目は、2度の日本大会優勝を経て、2013年のパリ本選で第3位になられた帝国ホテル 東京 フランス料理「ラ ブラスリー」の鎌田英基シェフです。
子どもの頃に経験したボーイスカウト活動での料理体験が料理人人生の原点となったという鎌田シェフ。イタリア料理レストランやイタリア研修経てフランス料理の道へ進んだ経緯、何度もコンクールに挑戦した経緯のお話を伺いました。
テタンジェコンクールは日本大会で優勝2回(第45回、47回大会)・2位に1回(第50回大会)になられていますが、応募自体は何回されたことがあるのですか?
「優勝した2回と準優勝した1回の他に、帝国ホテル「光の間」で表彰式を開催した時(第51回大会)に応募しました。」
ということは、全部で4回応募されたのですね。
「応募したのは4回ですが、それまでにも何度か社内選考に挑戦していました。先輩が挑戦しているのを、そばで『かっこいいな』と思いながら見ていたので、コンクールに対してとても憧れがあったのです。」
料理人をめざしたきっかけを教えてください。
「子どもの頃からよく行っていたボーイスカウトの活動です。この時の経験が私の今の料理人人生に大きく影響していると思います。やっぱり、キャンプで作るカレーって美味しいじゃないですか。ボーイスカウトで行ったキャンプの最終日、缶詰や余りものを全て入れてカレーを作ってみたら、今まで食べたカレーの中で一番美味しくて…。班のみんなも絶賛してくれました。『美味しいものを作ったら喜んでくれる』という体験が料理人としての原点になっています。」
ボーイスカウト以外にも、学生時代に取り組んでいたことはありますか?
「中学1年生の部活動で始めたハンドボールです。高校もハンドボールが強い高校にスポーツ推薦で入学しました。東京では1,2位を争う強い高校だったので、レギュラーではありませんでしたが、インターハイにも行き、学年が上がるとキャプテンも務めました。当時強く感じたのは、試合に勝つためにはチーム力と信頼関係が何よりも重要だということ。その考えは、現在の職場での部下とのコミュニケーションや、チームへの気遣いに活かされているなと感じます。」
帝国ホテルへ入社された経緯を教えてください。
「就職活動の時、進路指導の先生に『帝国ホテルを受けてみたら?』と言われたことがきっかけです。」
入社されてからはどうでしたか?
「当時、ホテルの情報を何も知らないまま、街場のレストランとの違いも全くわからずに就職したので、入社してからは驚きの連続でした。」
入社されてから、どちらの部署に配属されましたか?
「まずはサンドウィッチやハンバーガーなどの軽食を提供するラウンジに配属されました。1年半ほど勤務した後に『イタリア料理の新しい店舗ができるからそちらに異動しないか?』と声が掛かり、イタリア料理のお店に異動になりました。」
フランス料理ではなく、イタリア料理だったのですね!
「はい。当時帝国ホテルには、ローマのホテル ハスラーから来たイタリア人シェフがいて、そこで初めてヨーロッパ人シェフと交流しました。外国文化のおもしろさを知ることができたのもその時です。料理人としての火がついたのもその頃ですね。」
料理に対する意識が変わった瞬間ですね。
「ええ。文化的背景や気候、風土、歴史などが混ざり合ってイタリア料理が出来ているということを学びました。その後、イタリアで研修する機会をもらい、10か月ほど現地で生活しながら、直に文化に触れることができました。」
何年ほどイタリア料理に携わっていましたか?
「イタリア研修も含めて4年半くらいです。帰国後は『パークサイドダイナー』の前身である『ユリーカ』というレストランに配属され、『レ セゾン』のリニューアルオープンに合わせて、そちらに異動になり、初めてフランス料理を本格的に学びました。」
イタリア料理とフランス料理、どちらも経験されている鎌田シェフにとって、2つの料理の違いはなんでしょうか?
「簡単に説明できることではありませんが、近年イタリアのシェフもフランスや世界各地で修行したりしているので、表現の仕方や技術はグローバル化しているように思います。イタリア料理は地方色が強く、素材の良さをストレートに活かすような調理法だなと当時感じました。」
イタリアの地方性に気が付いたきっかけはありましたか?
「イタリア滞在中、ガイドブックを片手に、有名な星付きのレストランを何軒も食べ歩いていたのですが、表現の仕方がどのレストランも似ている気がしてしまって。そうしたときに、地元の方が通うようなトラットリアに入って食べた、コテコテのイタリア料理がすごく美味しく印象に残りました。そうしたお店では、その土地のもので、その土地の料理法で、その土地のワインを飲んで、みんな笑顔でした。そこで初めて、それぞれの土地の文化に対するイタリア人のこだわりを感じるようになったのです。」
そのようなイタリアでの経験を経てフランス料理の世界へ踏み込んでから5年ほどで2011年第45回大会にてテタンジェコンクールに優勝されました。コンクールを受けるきっかけはありましたか?
「直属の先輩がテタンジェコンクールで優勝されたことが大きいですね。ずっと一緒に仕事をしていた、一番身近な先輩が日本一を獲ったことが、とても衝撃的でした。それと同時に『自分はそういうレベルの高い方と仕事をしているのだ』と自覚が芽生え、自分も挑戦したいと思うようになりました。」
1回目の時に印象に残っていることはありますか?
「よく覚えているのが、実技審査で、課題のソース・ディアブルを『このウフ・ポッシェのグリエにこんなに合うソース・ディアブルはないよ。すごく美味しかったよ。』と堀田審査員長に褒めていただいたことです。審査では、作り方を提示され、それに沿って作るのですが、私は自分なりに美味しいソースを作ろうと、6割レシピ通り、4割自分流にして美味しいと思うものを作りました。」
※ウフ・ポッシェ・・・ポーチ・ド・エッグのこと。
※ソース・ディアブル・・・粒マスタードやカイエンペッパーなどを使った辛みのあるソース
個性を出すのも大事ですね。
「コンクール用の料理を作ったわけではなく、自分で美味しいと思うものを出したことが評価されて、とても嬉しかったです。」
※第45回テタンジェコンクールの詳細はこちら
※第45回テタンジェコンクール・鎌田シェフのテーマルセットはこちら
そして、日本大会で優勝し、フランスでは研修を受けられました。どうでしたか?
「フランスでの研修先はレストラン『オーベルガード』でした。2週間前に発表されたテーマが『四つ足のジビエ』で、リエーブルを想定して練習させてもらいました。その時にフランク・ボルディエシェフが裏山から大きなリエーブルを2匹獲ってきてくれたので、びっくりしました(笑)。私は『リエーブル・ア・ラ・ロワイヤル』以外でリエーブルを使ったことがなかったので、リエーブルの皮の剥ぎ方から教えてもらいました。その他はタイムリーに食材が揃わなかったり、練習のための準備も全部自分でしなければいけなかったりしたのが大変でしたね。」
※リエーブル・・・野ウサギ
※リエーブル・ア・ラ・ロワイヤル・・・野ウサギ1匹の中に豚肉、フォアグラなどを詰めた料理
フランス決勝戦。ジビエで選ばれたのは・・・
「マルカッサンでした。3つある封筒のうち、他の2つはリエーブルと鹿だったんですよね。私は冷凍のマルカッサンしか使ったことがなくて・・・。ジビエはあまり使ったことがなく、特徴などをしっかり自分のものにできていなかったことが、この時の一番の敗因ですね。堀田審査員長にも『迷って作っていたでしょう。』と言われてしまいました。よく使っている食材、例えばアニョーなどであれば、食材の香りや食感などがイメージできるので、迷わずに済んだかもしれません。マルカッサンは、方向性が見えないまま、手探りで調理していました。」
※マルカッサン・・・仔イノシシ
※アニョー・・・仔羊
扱った経験が少ない食材をコンクールで調理するのはかなり厳しいですね。
「優勝したオランダの選手は、シンプルなロティにソース・ヴァン・ルージュ。ひとつひとつ丁寧に、きれいに仕上げていて、その食材に見合った、最低限の調理で食材を美味しく仕上げることが正解だと思ったことをよく覚えています。」
※ロティ・・・オーブンや天火で焼いた料理のこと。ロースト。
※ソース・ヴァン・ルージュ・・・赤ワインソース
『美味しい料理が勝つ』。皆さん同じことを仰ってます。
「最終的にはそこが重要です。」
もうひとつのテーマはラングスティンヌのリゾットでした。
「これは文化の違いをとても感じた一品でした。私はイタリア料理らしいリゾットを作ったのですが、3位になったバンジャマン・パティシエシェフや2位になったルノー・オージエシェフのリゾットは、イタリアのものとは異なる、フランス人のリゾットだったのです。」
その違いとは?
「私の作ったリゾットは、少しレモンを効かせたクリーム系のリゾットにラングスティンヌと甘い感じのソースを添えてたシンプルなものでした。一方、バンジャマンシェフは、セルクルにリゾット入れて、まわりにソースを流していて…上には三角形にしたチュイルやパルメザンが飾られていました。フランス料理のコンクールだからこそ、フランス料理寄りのリゾットが求められていたことに気づかされました。」
難しいですね。
「まだ私も若く、結局は『何を求められているか』ということを理解せずに料理したことが敗因の一つだったと思っています。」
※第45回テタンジェコンクール・アンテルナショナルの詳細はこちら
2回目に挑戦されたのは2013年第47回大会でした。テーマはソーモン。工夫した点はありますか?
「工夫した点はパイですかね。時間内に折パイを折ることがネックになると思い、多くの方に指導していただきながら試作を重ねました。実技審査では、自分のデシャップの下にあるオーブンではなく、横にあるパン焼き用のオーブンを借りて焼きました。パン焼き釜だと上下から加熱できるので、むらなくきれいに焼きあがります。これは前大会でフランスのフェランディ校で戦った時に、周りを見て覚えたことですが、あまりにも逸脱したことでなければ、審査員に聞いて確認するのは自由です。許可が取れれば、使いたいものを使ったほうがいいですよね。そうしたアクションが取れるようになったのは、フランスでの経験のおかげですね。」
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再び日本大会で優勝されて、パリ本選へ。印象に残っていることはありますか?
2回目のパリ大会で提示されたテーマは「アニョーのどこかの部位」でした。フランス人のM.O.F. シェフ ガブリエル・ビスカイシェフに、エポール、セル、ジゴ、とさまざまな部位でトレーニングしていただきました。トレーニング後に片付けようとしていたら、『本当にもう終わりにしていいのか?』と長時間練習に付き合ってくださったことが印象に残っています。国籍に関わらず、フランス料理を志す者に対して真摯に向き合ってくださったシェフの姿勢から、フランス料理の伝統や奥深さを感じ取りました。」
もうひとつの課題は・・・
「この時に審査員長がエマニュエル・ルノーシェフに変わり、課題は『野菜のミルフィーユ』でした。使用できると思った食材がリストに入っていないなど、自分のリストの読み込みが甘かったことが反省点です。ミッシェル・ロットシェフには『美味しかったよ』とお言葉をいただき、ライバルのフランス人シェフからも『よかったよ』と言っていただけたことが嬉しかったです。」
2回目のフランスでの戦い、何か他に感じることはありましたか??
「2回目に感じたのは、プレゼンテーションの重要性です。優勝した方はすごく凝っていました。セルクルに野菜のスライスを並べて、中にエスプーマの野菜のピュレを詰めていて…審査員が試食する際に野菜のミルフィーユを切ると、中からソースが流れ出たそうです。その時に審査員たちから『おお~!』と歓声があがったそうで、これがプレゼンテーション力だと感じました。私の中では『美味しいものを作ろう』ということが80%くらいを占めていて、そこまで考え切れていませんでした。
3位になれたことは、自分の中では納得の結果でした。」
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国際大会での「第3位」、素晴らしい結果だと思います。何度も挑戦されたテタンジェコンクール。その良さはなんでしょうか?
「日本大会の決勝でも、フランスの決勝でも、戦ったみなさんとは今でもつながりがあり、それがこのコンクールの良さだと思います。料理人同士の横のつながりはすごくいいですね。コンクールに挑戦する前にも、パリ本選に挑む先輩が優勝経験のあるシェフを訪れたときに同行させてもらったことがありました。手ほどきをしてくださるシェフの姿がとても格好良く、こういう風に美味しい料理を作りたいなと強く思いました。それが、コンクールを目指したいと思うきっかけの一つでもありました。」
将来の夢はありますか?
「将来の夢、難しいですね(笑)。若い頃は、先輩も後輩もみんなライバルで、ひとまず自分が学ぼうという意識が強くありましたが、今はチームで料理をしないといい料理は出せないことを感じ、スタッフ力を高めていくことの大切さに気が付きました。若手をコンクールに挑戦させたり、大事なお客様への料理を一緒に作ったりしながら育てています。先日のエスコフィエコンクールでホテルのスタッフが良い結果を出したときは嬉しかったですね。」
チーム力、大事ですね。
「後輩たちと一緒に新しいことを学びながら新しい価値観のものを作っていく、それが一番の夢ですね。」
テタンジェコンクールを目指す方々に一言お願いいたします。
「人生は一度きりしかありませんし、失敗してもそれが自分の経験値になっていきます。チャレンジする一歩を踏み出してもらいたいです。そこには、自分では想像もしていなかった世界が広がっていて、いろんな方との出会いや経験が待っていますよ。」
最後になりましたが、最初にこれが美味しいと思ったお料理は?
「私、くさやが好きです(笑)。おそらく初めて食べたのは小学生くらいですが、『くさいけど、これは美味しいな』と思いました。お酒のおつまみのような、少し特徴的な食べ物がその頃から大好きです。ある程度成長してから一番美味しいと思った料理はホテルオークラのコンソメです。学生の時にホテルオークラのレストラン『ベル・エポック』で食べたコンソメと、和牛のロッシーニ風がとても美味しく、美味しいものを食べて顔がにやける体験を初めてしました。」
◆鎌田英基 シェフ
1978年生まれ
専門学校卒業後、1997年に帝国ホテルへ入社。
入社後はホテル内のラウンジ、メインダイニング、宴会部門、海外ホテルなど様々な部門で経験を積むほか、国内・外の料理コンクールでも功績を残す。
2019年より帝国ホテル 東京のレストラン「パークサイドダイナー」のシェフに就任。帝国ホテル伝統の味を受け継ぎ、常に食材と真剣に向き合う鎌田は、洗練された料理で日々多くのお客様を魅了し続けている。
2022年よりフランス料理「ラ ブラスリー」のシェフに就任。
【料理コンクール受賞歴】
2011年 | 第45回<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール・ジャポン 優勝 |
2013年 | 第47回<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール・ジャポン 優勝 |
2013年 | 第47回<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール・インターナショナル(パリ) 3位 |
2016年 | 第50回<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール・ジャポン 2位 |